無職になった話

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無職になって何度目かの夏が終わっていく。
むなしい。

ブログは何かの記録のためにと思って作ったのだが、日々何もしていないため記録するようなこともない。なので仕事していた頃の、新卒から無職になるまでのことを書こうかと思った。
聞いても楽しくない自分語り。いいかんじの退職エントリとかではない。
うつ病になって会社をクビになったダラダラ話。

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学校を卒業して、新卒でIT系エンジニアとして就職した。
本当はゲームエンジニアになりたかったのだが当時は就職難で、おまけに自分には実力もそれほどなく叶わなかった。

内定した会社はなんとなく怪しさを感じて辞退しようとしたのだが、学校側が入れとかなり圧力を加えてきて押されてしまった。就職難が続いていたからさっさと内定してほしかったのだと思う。

入社当時の事を思い出すと、まず出てくるのは入社最初の上司からの有給はありませんとの説明で場が凍りついたこと。

会社にはほとんど日本人がおらず、本当は社内では日本語で話すルールだったのだが、平然と聞き慣れぬ言葉がオフィス内に飛び交っていた。
日本語力も全員まちまちで、本当に片言の人から日本人レベルの会話力の人もいた。しかし、そういう人でもやはり冗談などがあまり伝わらない、お互い有名な例えや、ちょっとした雑談も上手く繋げられない。わたしのコミュニケーション力不足もあるのだろうが、言葉の壁を感じた。


とりあえず社内研修をこなしていたが、なんか研修しなくてもそこそこできるからという理由で研修から外され、担当者がやめて国へ帰るらしい謎のアプリ制作の引き継ぎを受けることになった。引き継ぎ資料が日本語でなく、本人の日本語も不安なものであまり理解できなかったが、なんとかやった。

その後大きめな案件に入れられ、古いシステムをどうにかする的な、希望していたアプリ制作とは遠い仕事をすることになった。まあ最初はいろいろやるのが大切なのだろうと思っていた。色々厳しく最後の2ヶ月くらいは毎日23時ごろまで退勤できなかった。

給料は見込み残業形式で、月190時間以上くらい働かないと残業代は出ない。深夜残業代は全く付かなかった。

なんとかプロジェクトが終わって、頼れる先輩が退職した。その人は「こんな会社糞食らえだ、さっさとやめとけ」という助言を残していった。



 その後、なにか設計をやってみないか?的なことを言われたが正直設計はあまり好きでなく(というか設計ってなんなのか全然わからなかった)アプリ開発やりたいといったのだが聞き入れられず、次のプロジェクトの設計を任されることになった。

初の長期客先常駐プロジェクト。常駐先には自社の人間は誰一人もおらず、客先常駐に対する常識や知識もない。自分は入社一年経っておらず社会人としても経験がほぼない状態、やったことのない設計という仕事。そして社内のコーディングチームとのパイプラインとして話を通す、ほぼリーダーのような役割。
全てが不安要素だった。


常駐開始直後は社員証が無いため、数週間出勤退勤トイレ昼食買い出しも自由に行けずつらい(これはいろんなプロジェクトでも同じだった)
やはりわからない設計、毎日繰り返される長時間会議、周り全員プロジェクト歴が長いため伝わる会話っぽいのだが全然分からず、そして聞ける人がいない。下請けとして名前すら呼んでらえず会社名で呼ばれる。毎日終わらない仕事。かなりしんどくてトイレで辛いと嘆いたり、泣きながら帰った。


その次のプロジェクトはコーディングだったが、またレガシーシステムの改修で、毎日終電だった。日付をまたがず帰れたらいいほうで3時に寝て6時に起きるの繰り返し。頼れる先輩がまたひとり退職。
このあたりで精神がおかしくなってきて、死ぬのをひどく恐れた。次の瞬間に大地震が起きるのではないか、看板が落ちてきて死ぬのではないか、マンホールが外れて落ちるのではないか、自動車が突っ込んでくるのではないか、いろんな死を毎日恐れた。

精神科へ行ったが非常に適当な診察を受け(初診1分で終わり、パキシル大量に出される)全く信用できず通えなかった。


次のプロジェクトは社外で設計だったが、あまりにも設計ができなすぎて運用に回された。主な仕事は自社先輩?の書くめちゃくちゃな機械翻訳メールを日本語に直すことだった。あとはバッチ処理やテスト。毎日遅く、そして休日出勤をした。客先の上司は数日帰れないことがザラだったようだ。

このプロジェクトでまたまたお世話になった先輩が退職し、先輩?は会社をばっくれて国へ帰った。

このあたりで帰りの電車の中で自然に涙が流れたり、不安で電車に乗っていられなくなってきた。真っ暗な海がビルの明かりを反射しているところに飛び込もうと何度も思った。首を吊る用のロープを買った。

また精神科へ行った。仕事ができなくて辛い、毎日残業、毎日死にたい涙がでる的な事を言ったら、仕事が出来ないのはADHDなのでは?といわれ大量の抗不安薬ストラテラを貰う。しかし飲むと具合が悪くなり、今度はコンサータを出された。コンサータは確かにいつも注意力散漫としている頭が一つの物事へピントを合わせる感じがしてよかったがその後具合が悪くなる。そもそもこんな簡単にコンサータ出していいのか的な……。もう行くのさえ無駄な気がして通うのをやめてしまった。


そんななか、急に別のプロジェクトに移動となった。前のプロジェクトで一緒だったメンバーや上司も一緒だったため多少安心していた。
しかしプロジェクトの内容は、かなり黒く、やっていいことなのか疑うようなものだった。まったくスマホアプリ開発と違う道。何をやっているのか全然わからなくなる。

もうこの辺で限界が来ていて、現場常駐初日に急にぶっ倒れ病院に担ぎ込まれるも原因不明。毎晩原因不明の震えと吐き気が起きて寝れず、毎日なにか大変なことが起こるような、死んでしまうような気がして、高いビルの上から夜景を眺めては飛び降りようかとか思ってた。とても寒かった。
仕事も毎日抗不安薬でなんとかしのいでいる感じで、眠たすぎて、正直仕事になっていない。そして終わらず、帰れず、自業自得だがどんどん死にたくなる。

体調崩し内科で受診中に死にたい自殺したいといい精神科を進められ、精神科へ言ったらうつ病なので休んでくださいと言う流れになった。うつ病ですって言ったときの客先上司のまたか〜みたいな顔と空気はすごく覚えている。


そしてゆっくりやすめ〜と上司に言われ数ヶ月休職。しかしまだ全然良くなら無い旨を伝えると、長く休まれると迷惑だから退職してくれという流れになった。社内の文章を調べたが何ヶ月間休職したら退職とするという記述はなく、そもそも社則はどこを探しても見つけられなかった。
けどもう何も言う気もなくて会社を退職した。


やめて数ヶ月は本当にずっと眠っていた。いまはだいぶ良くなったが抗うつ薬睡眠薬は飲んでいる。家からなかなか出ることが出来ない、引きこもりだ。
けどあれだけ毎日死のう死のう思っていたのが、辛い時もあるがだいぶましになった。よかった。

早くやめればよかったと思うが、親から3年は続けろ!と強く言われていたため踏ん切りがつかず、自分が潰れるまでやめることができなかった。
エンジニア的にはこんなことよくある、これくらいで鬱になるなんて弱い!って思われるのかもしれないが、わたしには無理だった。毎日が本当に辛く、睡眠不足と同じ日々の連続で、気が狂っていた。

いまは無職で無収入だ、しかしなぜだか生かされている。ありがたいことだ。楽しく絵を描いたりできる。
しかしやはり収入が無いため働かないとならないのだが、またあんな辛い目に合うのではと思うと胃が痛くなる。辛いことするからお金がもらえるのはわかっているのだけど。働きたくないな……。

おわり